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あるフローリストとの出逢いと別れーーそして私たちは2015年も生きていく

今年一年を振り返ると、2月に父を看取ったのにはじまり、KLで楽しい時間を過ごしたエイミーのお父さん、お会いすることは叶わなかったけれど、ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空機に乗っていた友人のご両親、長い間、家族同然に一緒の時間を過ごしてきた友人と、身近でなんとたくさんの人が逝ってしまったのだろうと思います。

さらに年末に飛び込んできた、今年3回目の航空事故という悪夢……。
マレーシア全体が哀しみに包まれていて、2015年は静かな幕開けとなりそうです。
 

そして今月上旬にも、思いもよらない報せを受け取りました。
6日間ほど単身で帰京したごまたろうが、東京の事務所から持ち帰った郵便物の中に、その美しいはがきは紛れていました。
それは、こんな書き出しではじまっていました。
 

ーー高橋郁代は、大好きだった花になりました。

 
えっ。

体じゅうの細胞がざわざわと一斉に騒ぎ出すのを感じながら、文面を追いました。
一度で事態が飲み込めず、何度も読み返さなければなりませんでした。

まさか、まさか。

お別れの会の日付は、もう1か月も前。
まったく知らなかった……。
 

なんて大きな人を喪ってしまったのだろう。
もう二度とあの人がつくる花束を手にすることができないなんて……。
 

東京・南青山にあるル・ベスベのオーナーである高橋郁代さんは、東京で編集者をしていた時代、本当にお世話になったフラワーアーティスト。
女性ファッション誌業界で彼女の名前を知らない編集者、スタイリストは、いなかったんじゃないかな……それくらいみんなが彼女の花に恋い焦がれていました。

お店や展示会のオープニングに、ル・ベスベさんのお花を贈ると、いつも本当に喜んでもらえて。
あるときクライアントの開店祝いにバラのアレンジメントを手配したら、社長が「小倉さんのバラがいちばんきれいでいい匂いだった」と言ってくださったっけ。
これは、もちろん高橋さんマジックのおかげ。

再婚を決めたとき、「ウェディングドレスはもう着なくていいけど、高橋さんのブーケだけは持たないと絶対一生後悔すると!」と、和装に合うブーケをお願いしたことも。
すると高橋さん、機転を利かせて、「新郎に何もないのは淋しいからブートニアの代わりに」と言って、ごまたろうが持つ扇子にあしらう花をお揃いでつくってくれました。
「こんなのは見たことがない!」と、神社併設の式場の人たちがそのアイデアに驚いていたのが印象に残っています。

「私のブーケを持った人は、赤ちゃんに恵まれるのよ。この間もね……」と、おしゃべりが大好きだった高橋さん。
その“こうのとりのブーケ”のおかげか、確かにわが家にも赤ちゃんがふたりも来てくれたし(そんな彼らも今ではわんぱくボーイズに!)、そういえば、その後紹介した親族や友人たちも、高橋さんの言葉どおりみんな子宝に恵まれたなあ。

あのしあわせなブーケを、もっとたくさんの花嫁さんに持って欲しかったな……。
そして、私が死んだときは、高橋さんのお花で送られたかったのに……。
(実際に長らく一緒に仕事をしているパートナーには、そのようにお願いしてました!)
 

こちらが噂のこうのとりのブーケ。その昔、編集業と並行してアパレルの仕事もしていた頃、友人がドレスをオーダーしてくれて、それに合わせて高橋さんがブーケを製作。この友人もその後、子宝に恵まれました!

こちらが噂のこうのとりのブーケ。その昔、編集業と並行してアパレルの仕事もしていた頃、友人がドレスをオーダーしてくれて、それに合わせて高橋さんがブーケを製作。この友人もその後、子宝に恵まれました!

 

日本の花業界に彼女が投げた石は、一石どころじゃなかったと思います。
神様からの特別なギフトをもって生まれた人ーー本物のセンスと審美眼を備えた、稀代のフローリストでした。

そして、誰に対しても分け隔てない人柄も本当に魅力でした!
まだ駆け出しの編集者だった私の話にもいつも耳を傾け、そして楽しい話をしてくれる人でした。
アトリエを訪ねるたびに「最近どうなの?」と尋ねてくれて、「そうそうこの間ね……」と言って、ヨーロッパのどこそこで買ってきたという珍しいリボンやら花器やらを見せてくれたものです。

 
もっとお話がしたかった。
高橋さんの花を楽しみたかった。
東京を離れてから足が遠のいてしまったけれど、もっとお店を訪ねればよかった。

振り返るとできなかったことばかり並べそうになるのですが、高橋さんから学んだこともたくさんあります。
花を愛する気持ち、美しいものを愛でる気持ち、仕事への情熱、枯れることを知らない好奇心、チャーミングな人柄……
 

先日、東京に戻った際、ル・ベスベさんを訪ねてみました。
公私ともにパートナーだった松岡さんが温かく迎えてくださり、友人の開店祝いのお花をお願いしている間、いろいろお話をうかがうことができました。

突然のことに松岡さんやご家族、スタッフのみなさんにとっての哀しみはいかばかりだろうと思うと、本当に胸が痛みます。
でも、そこにはいつでも高橋さんが愛した美しい花々があってーー

お花と時間が、高橋さんという太陽を喪くしてしまった人たちを、どうかやさしく癒してくれますように……。

 

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いつ訪ねても素敵な、一軒家のお花屋さん、ル・ベスベさん。
高橋さんに初めて会ったのは、私が独立したての2000年頃。
以来、何度通ったことでしょう!
 

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外は寒いのにお店の中はまるで春のようでした。
ここの花は冷蔵庫を使わないせいなのか、日持ちがいいことでも知られています。
 

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公私ともにパートナーだった松岡さんと、お別れ会のときに使ったという、ものすごく高橋さんらしさが溢れている写真。
 

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アトリエには高橋さん愛用の道具や花器などがたくさん残っていて。
「買い物が大好きな人だったでしょう。しかも、普通じゃないものばっかり選んでくるんだよね(笑)。本人の思い入れのあるものばかりだから、捨てられなくてね……」と、松岡さん。
 

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高橋さんは生前『ル・ベスベ花物語』(文藝春秋)という本も出版されていました。
装幀も写真も高橋さんらしい、素敵なつくり。
さまざまなエピソード満載で、どのようにフローリスト・高橋郁代さんが誕生したかわかる内容になっています。

「こんな遺書みたいな本出しちゃったからかなあって思うこともあるよ」という松岡さんの言葉が切なかったです。
もう一度ゆっくり読み直してみよう。
 

 

最後に……高橋さんの訃報を受け取ってから、私個人には運命の輪が廻りはじめたとしか思えないようなできごとが次々に起こり、2015年以降は確かにそれをしていくのだろうと思いながら、2014年の最後の朝を迎えています。

生きて故人を覚えている限り、楽しかった思い出話をしつづける限り、遠くに逝ってしまった愛しい人はまだ確かに存在するのだと、私自身は信じています。
ですから、何としても生き抜かなくちゃいけません。
2015年も、家族と仲間たち、そして仕事への愛を胸に、静かに命を燃やそうと思います。
 

一年間、「ワクワク海外移住」をご愛読くださいまして、本当にありがとうございました。
どうかよいお年をお迎えください。
みなさまにとって、希望に溢れたすばらしい一年になりますように。

 

デイジーこと
小倉若葉