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たろうの宿題におもうこと

たろう、8歳になりました。日本人学校2年生です。
1年半、日本人学校に通うたろうをみながら、
宿題について今感じることをメモしていきますね。
あくまで「たろうにとっては」の感想です!

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●たろうには宿題量が多すぎ?

小学校1年生の2学期あたりから、かなりの量が毎日ありました。
ピーク時には短くて45分、多いときは2時間かけてこなしました。
良くできる子にとっては、(この年齢の子どもの集中が続く限界であろう)
20分程度でできるのかも? ですが。

宿題はどんなものかというと、
計算カードという、例えば7+5=の答えが裏に12とあるものを読んでました。
読むといっても、たろうにとっては足し算・引き算の問題を
合計70問以上解くということなんですけど。(できる子は暗記もできてるのでしょう)
加えて、プリント問題や国語の教科書の音読などなど。

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ということで、学校から帰宅すると、
晩ご飯までの時間の大部分が宿題で終わってしまうのです。毎日、月から金まで。
これはこ6〜7歳の子どもにとって、放課後の過ごし方としてはどーなの?
体づくりをしたり、楽しく遊びを通じて経験の幅を広げたり、
できれば友人とも交流したり。そういう多様な時間を許さない量なのです。
一日でみると講義型にハマる時間がとても長く、他の時間が短すぎてバランスが悪い。
子だけでなく親も含んだ「宿題の習慣化」が目的なんだろなーと感じました。
2年生になり、なぜか宿題量がガバッと減り、
30分程度で済むようになってきてホッとしとります。

宿題量過多で何がマズいかというと。
子どもの勉強に対する姿勢が、
最初からネガティブな方を向いちゃうことですね。

→少しなら面白いけど、こんなにたくさんできないよ。
→勉強ってくたびれる・辛いことなんだね。
→勉強って頑張って・耐えて・我慢してやるべきことなんだ。
→大人がやれっていうし仕方ないからやろう。(頑張れる子)
→あー、もうやだ。勉強なんか嫌いだー!(たろう)
正直、たろうは2日に一度は泣きながらやってました。

そんなんで、たろうの場合は担任の先生と相談しながら、
必ずしも宿題は全部やらなくてもOK、
その代わり自分の力でキッチリやりきる、というスタイルになってきました。
全部やろうと無理する期間が長かったなー。早めに相談すればよかった。
算数だけではなく、勉強そのものが嫌いになっちゃいましたね。

●たろうには課題が複雑?厳密?

ひとつひとつは簡単な問題でも、
合わさって出されるとできないってことありますよね。大人でも。
例えば算数で、式と計算が正解でも
回答欄には正確な数助詞表記がないと不正解というパターン。

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(例)犬は何びき? 式2+3=5 答え 5(×) 5びき(×) 5ひき(◯)
計算合ってたら、正解でよくないですか? 算数だし。
ここで数助詞を正確に使うって、算数の基本理解の雑音になってる気がする。
国語でちゃんとやりましょうよー。今は計算にフォーカスしましょうよ。
合わせ技でやらしちゃおうって、複雑すぎないすか?

あと程度問題の話ではありますが。。。
例えば漢字の練習で、文字の骨格はだいたいあってるのに
ハネ・トメ・微妙な長さ傾きの違いから不正解になったり。
練習だから直しの赤字が入るのは仕方ないことなんでしょうけど、
子どもの書く字なんて赤字入れようとおもえば限りなく入れられますよね。
こまか~い話ですが、鉛筆書きに筆の筆致を求められてる、
非常に高度な技術を求められてる感じなんですよねえ。。。
大部分の子にとっては指導が厳密すぎないすかね?

課題が複雑だったり厳密過ぎたりだと何がマズいかというと。
成功体験が積みにくく、自信が生まれにくいのでは。

算数の例だと、勉強内容のメインを理解するのが大事であって、
サブ的なことでつまずかない方がいい。
この場合、大事なことはもちろん「計算できること」のはず。
完璧な正解に向かって直しの赤字が入るので、せっかく計算はできてるのに評価されない。
赤字を見ながら子ども的には釈然としないとおもうんです。
「今大事なのって計算じゃないの?数助詞?それとも数字の鏡文字なおすこと?」
いくつものハードルを越えてやっと正解って、最初からやらせるべき難易度なのかしら?
その段階でのエッセンスをシンプルに分かりやすく課題設定し、
消化させて自信につなげるというサイクルを繰り返すのがいいんでは?
ハードル多すぎて撃沈する子って、たろうだけじゃないとおもう。

漢字の練習の例だと、
教科書で使ってる文字は教科書体っていう名前がついてて、
書体が変わるとハネなどの字の形って変わるんですbyデザイナー。

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ごまたろうがおもうに、そこで変わる程度の文字の差異は「枝葉」なので、
そこでは差がでない共通の「幹」である文字の骨格が書けていれば、
OKだしていいとおもうんです。最初のうちは。
最初だからこそ一気にそこまでマスターさせるべき、という考え方も理解はできます。
その子がさほど苦労なくできるのであれば、もちろん。

そんなんで、たろうの場合はメインができてればまずはOK、
サブのことは、自力でできるまでは親がサポートするスタイルです。
担任の先生も理解があり、できるだけたろうに適したやり方で
あせらずやっていきましょう、といってくれてます。

●大事だとおもうこと

これから一生勉強するであろう、その最初のステップの小学校。
そこでごまたろうが重視するのは、
◎自発的に勉強ができるようにすること。
これに尽きます。
勉強を嫌いにさせちゃってる場合じゃないんです。

そこで、
◎個々の勉強内容の習熟度追求ではなく、まずは勉強を継続できる姿勢を確立すること。
その都度完璧にマスターしようとして、やりすぎで嫌になっちゃったりするんで。

そのために、
◎勉強内容への好奇心を失わせず、興味を持たせる工夫をする。
◎知識を広げる楽しさを感じさせる。
楽しければ、どんどんできますね。

そして吸収をしつつ、
◎小さな成功体験を重ねて自信をつけさせる。
◎新たな知識を使って、難しすぎない課題を解決する。

こうやって、
好奇心→簡単な勉強→小さな達成感→積み重なって自信→
より高度なこと達成→自己肯定感の強化
こんな好循環が起きるといいなーと。
特に男の子にとって、「オレはやれるんだ!」という自信って
とても大事だとおもうんです。
そういう状態をキープできると何でも積極的にチャレンジできるし。
何にせよ、学力の伸び方は個人で違うし一定でもない。
じっくり寄り添おうとおもいます。

もちろん、人生には「頑張って・耐えて・我慢してやる」という姿勢が
必要な場面はあるし、日本人の良い資質だという考えもあるでしょう。
でもそれは身につける順序としては後回しでいいとおもう。
それを勉強の姿勢に持ち込むのはデメリットが大きいと感じます。
自主的に勉強してくれるのと、ずっと尻叩いて強制的に勉強させるのと、
どっちがいいかなんて自明ですよね。
あと、我慢大会スタイルだと新しいことの中から、楽しい! とおもえることを
キャッチできるアンテナの感度が、鈍っていく気がするんですよねー。
我慢してやってることはさっさと終わらせたいから、課題の中身なんか見らんないですよ。
そのアンテナを折らないことってのも、人生でとても大切だとおもってます。

我が家ではずっと、
「自分で本が喜んで読めるようになったら、もう目標の半分は達成かな」と話してます。
たろうは最近、ふりがな付きの漫画が読めるようになってきて、本が好きになってきた。
漢字もどんどん読めるようになるといいな。