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「問題文が読めない」のではなく「見えない」子をもつ母のつぶやき

ちょっと前の話題になりますが、先週、Yahoo!ニュースで上がっていた記事「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは『読めて』いるのか?」を読んで、なんだかなあ……と非常にモヤモヤしてました。

その後、それを受けて別の方が書いた「『問題文を読んでもそこに何が書かれているのかわからない』子を教えていた時のお話」を読みまして……うーーーむ、デイジー、これについては一筆書かねばならぬな……と思った次第です。

「問題文を読めない子がいる」という視点は、往々にしてその子の努力が足りないとか、訓練すればきっと読めるようになるはず、という思考に陥りがちです。
だから、どうしたら読めるようになるか、ということに心を砕くんですよね。
特にそれが苦もなくできる人たちは、そりゃもう一生懸命に。
まさにこれらの記事のように。

でも、そもそも「問題文が見えない」子がいるとしたら?
しかも、かなり高い割合で……。

本調査の結果が出ないかぎり、確定的なことは言えないが、
これまでのところ、テストを受験した公立中学校生340人のうち、
約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、
約2割は、基礎的な読解もできていない
ことが明らかになってしまった。

そして、偏差値の高い学校の生徒ほど、リーディングスキルテストの成績もよい。
「読める」子が偏差値の高い学校に入っている可能性がある。

「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは『読めて』いるのか?」より

読める子=読解力ある子、最高!
みんながそこをめざすべきだ!
みたいな言い方だなあ……と思ってしまうのは、デイジーだけでしょうか……。

デイジーの言う「問題文が見えない」子は、読み上げたら内容がわかります。
カラーフィルターを当てるだけで「見える」ようになるケースもあるといいます。
つまり、「読めない子」=全員が読解力がない子というわけではないということ。

では、デイジーが言ってる「問題文が見えない」子って?
そんなに目が不自由な人なんて、たくさんいないでしょって思いますよね?
でも、目が見える=文字が見えるということではないんですよ……。

ディスレクシア(難読症、失読症)って、聞いたことがありますか?
欧米では、俳優のトム・クルーズやキアヌ・リーブスなどがカミングアウトしているので、知っている方も多いでしょう。
英語圏では、10〜20%の確率でいるといわれています。

以下、「ディスレクシア」についてウィキペディアより。

学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。(中略)
最新の研究によって、ディスレクシアの人は、脳での情報処理の仕方が一般の人と異なることが明らかになってきている。一般の人は脳内の情報を統合する領域で文字を自動処理しているが、ディスレクシアの人々はこの文字処理がスムーズに行えず、通常とは違う脳の働きをしているという。

ディスレクシアについて、名前は知っている、なんか大変そう……と思っても、実際にどう見えているか知っている方は少ないと思います。
かくいうデイジーも知ったのは、ここ1〜2年ほどの間です。

日本語を母語とする人たちにも、ディスレクシアの人の数は少なくないと予想されています。
そして、その見え方にはさまざまなタイプがあるそう!!

下の画像を見てください。
こんな見え方をしていたらどうでしょう?
とてもじゃないけど、スラスラとは読めないですよね??

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「ディスレクシアとマルチメディアDAISY -当事者そして教育者の立場から」 より)

これらを「ちゃんと読め」って言われたら、イラッとしますよね。
少なくともデイジーはそうです。

なかには、文字が動いて見える人や、浮き上がって見える人もいるそうですよ!
実際にディスレクシアの人がどんなふうに見えているか、もっと知りたい方は、上記のリンクをクリックしてみてくださいね。

ディスレクシアは、脳の情報処理の仕方が普通の人と違うので、残念ながら見え方が変わることはないそうです。
でも、AI研究者さんは次のように言っているわけです。

なぜ「読めない」のか、
「読める」ようになるためには何が必要なのか、
原因を調べ、対策を立てたい。
公教育とは、国民全員に基礎的学力を保障するもののはずだ。
たとえ入学前に差がついてしまっていたとしても、差がなくなるようにするのが、公教育の責務だ。
中学を卒業するまでには、全員が教科書レベルの文章を「読める」ようにしたい。

このAI研究者さん、貧困問題にも言及しているし、ものすごく頭のいい、志も非常に高い人なんでしょう。
でも、デイジーからすると、とっても残念な人だなあと(ごめんなさいね)。
正直、できる人ができない人に向かって、上から目線でものを言っている感じが否めない……。

国語で印象に残っているのは、「そもそも数行以上の文章を、意味をもって読み解くことが出来ない」というくらい読解の経験がない子、でした。
とにかく、読めるとか読めないではなく、根本的に文章を頭に入れることが出来ない。「長い文章を読む」という経験が根本的に欠如しているのです。

(「『問題文を読んでもそこに何が書かれているのかわからない』子を教えていた時のお話」より)

この塾の先生だった方も、ディスレクシアを知らないんだな……教育現場にいたのに……。
単に長い文章を読む経験が足りないだけじゃない可能性が、かなりの高確率であるのに……。

勉強のできる人や、生真面目な人(=勉強ができる人に多い)に限って、想像力が足りない人がいるなあって、デイジーは常々思っています(もちろんなかにはそうじゃない人もいますが!)。
AI研究者さんは、「読解力のなさが、将来AIに職業を取って代わられる可能性がある」と危惧されているんですが、デイジーの想像力の欠如こそが、実ははAIに取って代わられれてしまういちばんのポイントだと、思うんですよね……。

問題を読んで内容を理解できることより、人と違う視点でものを考え、新しい発見をしたり、行動を起こせることのほうが、もしかしたらよっぽど価値のあることではないのかしら?
だって、AIには記憶量やら計算力では絶対に勝てない。
でも、やつらは想像力&創造力の分野は不得意なわけです!
まさに、「問題文が見えない」子たちこそが、AIが見えないものを見て、新しい価値をつくり出す=イノベーションを起こす可能性があるんじゃないか、デイジーはそう思っております。

読解力があって、記憶力がよくて、おまけに要領もよくて、東大に入れて、……そういう能力もすばらしいと思います。
でも、そういう人に限って古いガチガチの価値観に縛られていたりする。
数限りなくグラデーションで存在する多様性を認められなかったりする。
学校の勉強ができることなんて、幸せに生きていくうえでは、あんまりというか、ほとんどまったく役に立たないことは、すでに今の時代においてさえ、大人たちはみんな薄々気づいているのではないですか?

デイジー、なぜこんなことを書いてるかっていうと、まだ検査を受けてないので確定ではないんですが、長男たろう(8歳)がたぶんディスレクシア。
IQは問題ない(読み上げれば理解できる)けれど、文字の認識が非常に弱いというまさにそれです。

だからもうね、日本の学校の勉強はひじょーーーーーに苦手。
算数の文章題とか、本人にはストレスでしかないんです。
読むだけでひと苦労なので、テストで問題を解くところまで行けなかったりするんですよ(´Д`)
日本の学校は、こういう子に「できない子」の烙印を押してしまうんですよね……これについてはまた後日書きます。

ところが……問題文を読み上げてさえあげることさえすれば、瞬く間に答えが出てきたりするんですよ。
その証拠に……今、学校で習っている九九は、普通に暗唱してますw
覚えるのに目よりも耳を使うからでしょう。

勉強ができない子、音読が苦手な子……その子はもしかしすると上の画像みたいに文字が見えてるかもしれません……。
でも、がっかりすることはないし、萎縮して生きていく必要もないって、デイジーは極めて明るく捉えています。
むしろ、人と違って見えるなんて、ステキじゃないですか!!

デイジーよりひとまわりも年下の友人に色弱のプログラマーがいるんですが、彼、高卒なのにプロのプログラマー向けに専門書を書いたりするほどズバ抜けて優秀で、しかも起業家でもあるという、非常にクレバーな人物なんですよ。
とにかく話がおもしろくて、たぶん一日中おしゃべりしてても飽きない(笑)。

あるときデイジーは彼に聞きました。
「人と違って見えることが、自分のプログラミングに影響を与えてることはある? それがほかの多くのプログラマーよりも、アドバンテージになっている可能性はある?」と。

答えは……もちろん「Yes」。

デイジー、次回は当ブログでも超・読まれている記事「うちの子、コレでインターやめました 〜長男たろう、インターナショナルスクールから日本人学校へ〜」の続きを書きたいと思います。